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2008年5月

このままじゃヤバイ!日本の音楽産業 ~制限があるが故の芸術性~

MIDI音源というものがどんなものなのかご理解いただけただろうか。

さて、音楽創作に話をもどす。このMIDI音源。
打ち込みで利用させる音源には国外とわず、さまざまなメーカーから多種多様な製品が商品化されてきている。
現在では、10万円くらいもて楽器屋へ行けば、10年位前にプロのミュージシャンが使っていた音源よりはるかにリアルな音を出す音源が手に入る。
この20年はMIDI音源の過渡期であって、音楽を聴けば、その音がいつ頃に作られた(奏でられた)曲なのかが1年〜2年単位で憶測がつく。
それほど世の中に多くの機材がなく、使っている機材がわかってしまうということもめずらしくなかった。

ここで重要なのは、音がチープであるがうえの音楽芸術性である。
音が貧弱だった頃は、音楽として聴かせるまでには美しい旋律や作曲技術、演奏技術、打ち込みノウハウなどが必要だった。しかし現在の重圧でリアルな音は、発音しているだけでいかにもプロっぽい。
これは業界としては予期せぬ事態であると思う。

ファミコン音楽を想像してほしい。
これはMIDI方式ではないが、ファミリーコンピュータとカセットソフトの性能から機械音を同時に3音しか発音することができない。
初期のソフトに昔のクラシック音楽が多用されているのに気付いたひともいるかと思う。
3音だけの演奏で音楽性を出すのは難しく、もともと音楽的な芸術性をもつメロディアスなクラシック楽曲が利用されている。もちろん著作権が消滅しているという要素もあるが、ドラゴンクエストに代表されるように交響曲がかけるような作曲者でなければ3音での楽曲をつくるのは難しいのである。

昔のクラシック作曲やジャズ、ロックなど楽器の制限の中で作曲をしてきたがゆえに出来上がった芸術作品なのだと思う。
現在のコンピュータ技術の発達によって、芸術を生み出す土壌が失われてきてしまっているのではないかと心配である。
今では音楽の教養がなくても、楽器の演奏技術がなくても、簡単に音楽をつくることができる。また、インターネットでの公開や、SNSの音楽コミュニティなど、それをたくさんの人に聞いたもらうことが出来る環境がある。
音楽をはじめるハードルを低くした環境が功を奏してくれれば良いのだが・・・。

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このままじゃヤバイ!日本の音楽産業 ~MIDI音源とは~

打ち込みとは、簡単に言えばコンピュータを使って作曲することを言う。
正確には、シーケンサーを使った”MIDIによる曲作りの仕方”や”その作業自体”のことを指すことが多いが、最近のシーケンサーソフトはとても多機能で、打ち込みの意味合いも広がっている。

釈迦に説法かもしれないが、これを読んでいただいている方々と事前知識の認識あわせをしたいので、少しだけ主要なキーワードについて説明をしたい。
なお、既にご存知の方は、読み飛ばしていただきたい。

~MIDI音源について~

まずMIDIとはmusical instrument digital interface の略で、言葉の通り、電子楽器を電気信号でコントロールするための通信規格のことである。IT用語で言えば通信プロトコル。この通信方式によって音を出す音源のことをMIDI音源という。MIDI音源はサウンドモジュールとも呼ばれ、いわゆる音がたくさん詰まった音色ボックスと思って頂ければ良い。
この音色ボックスの正体は実は以下のようなチップの集合体である。

Midichip

これらはシンセサイザーに搭載されたり、パソコンのサウンドカード、携帯電話、カラオケボックスにあるような機械など、日常目にする様々な機器に搭載されている。

時々、パソコンに搭載されたサウンドカードに対して「この音源はMIDI音源だから音が良い」と言っている人がいるが、この表現は間違っている。

MIDI音源に搭載されたチップは様々なモノがあり、それぞれ様々な電気的な方法で電子音を作り出している。代表的なものにFM音源やPCM音源などがあるが、これら基本の技術を発展させてメーカー独自の方式が多くある。上の写真は2005年に発売された携帯電話に搭載されたPCM音源のチップである。
このチップから音を出させる引き金(トリガー)になる信号がMIDIプロトコルの信号である場合、その機器はMIDI音源を装備しているといえる。
音楽制作者や音楽業界向け、プロのミュージシャン向けに、よりリアルで多くの音を、またクセのある特徴的な音などを再生することに重点を置いた商品がサウンドモジュールである。シンセサイザーにも様々な音色が入っているが、いわゆるサウンドモジュールに鍵盤が付いたものと思えばいい。細かくは、シンセサイザーから鍵盤やシーケンサ機能など、音源以外の余分な機能を取ったものがサウンドモジュールである、と言う方が正しいかもしれない。このシンセサイザーも、MIDI音源を搭載しているものがほとんどである。

参考までに、これがサウンドモジュール。

Jv2080

これがシンセサイザー。
Fantomg8

つづく

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このままじゃヤバイ!日本の音楽産業

「最近の音楽って、いいなぁ~って思うものがないんだよねぇ・・・」と思ったことがあるのではないだろうか。

このように思われるのには様々な要因があるように思える。
ここでは、この要因を大きく3つに分けてみた。

まず一つ目。
”音楽に対する感受性の変化や、依存度の変化”

ある程度音楽が好きな人は、音楽を良く聴く時期とそうでない時期を経験していると思う。
青春時代など感受性の高い時期には、ラブソングやメンタルな内容を唄った楽曲への共感度が高く、好きな曲は何度も聴き、反復によって特定の楽曲へ好感度が増幅される。
その楽曲が、その時期に流行ったポピュラーなものであったならば、現在、そのような対象がないことにより、良い音楽に触れることがなくなってしまったと感じてしまうケースである。

二つ目は”音楽業界ビジネスの外部環境の変化”

流行とされる音楽ジャンルの変化や、聴く(聴かせる)音楽から、観る(見せる)音楽への変化がある。
ライブやプロモーションビデオなど、視覚的な効果を狙ったものでは、歌詞よりもアップテンポな楽曲と映像が重視される傾向があり、また、若年アイドルやビジュアル系などの需要に対応するエンターテイメント性が求められる市場背景がある。
また、7,8年くらい前に目立った、インターネットによる音楽の不正ダウンロードや、NapstarやWinMX、Winnyなどによる音楽ファイルの共有による社会現象は、音楽産業に大きなダメージを与え、新しい創作系アーティストが芽を出しにくい土壌になった。

三つ目は、”楽曲創作者側の音楽作成スタイルの変化”

コンピュータを利用した音楽作成方法が主流になり、従来の譜面による音楽作成方法が陳腐化し、理論主義よりもマインド主義を支える基盤が出来、今では譜面が読めなくても楽器が弾けなくてもアタマに浮かんだ音楽を創作できる環境がある。
そもそもコンピュータを使用した音楽作成はデジタルシンセサイザーの登場する1980年くらいまでさかのぼれるが、90年代くらいから出始めてきたサンプリングやHDRによる音楽制作方法の浸透が、昨今の音楽創作活動に大きな変化をもたらしていると思われる。

最近、良い音楽にめぐり合えない原因を、この三つ目にあげた、”楽曲創作者側の音楽スタイルの変化”、いわゆる打ち込みとサンプリングにフォーカスして書きたい。

つづく

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哀しいかなカウボーイコーディング・・・

カウボーイコーディングと聞いて、どのようなイメージを浮かべるだろうか?

私がカウボーイコーディングという言葉を最初に知ったとき、こんなイメージが浮かんだ。

・集団の中でひときわ際立つプログラミングのセンスを持った人の我流のコーディング手法
・型にとらわれず、湧き出る発想を自由に組み立て、属人的ではあるが生産性の高い開発手法
・難解でトリッキーなそのプログラムは当人しか理解できない芸術の域に達している。

そんな、すこし皮肉めいたニュアンスだけど、ポジティブで少し格好いい言葉だと感じた。
しかし、調べてみたらぜんぜん違っていた。
もっとマイナスイメージな言葉のようだ。

カウボーイコーディングとは明確な手法が欠如している無統制で雑なプログラミングのことを言うという。自然発生的にこの言葉を生んだ集団では、「チームのメンバのそれぞれが一番良いという方法で実装すること」と定義している。

その意味を知って、なぜか少しガッカリしてしまった。

私の経験上、実際の開発現場ではウォーターフォールモデルでの開発が多かった。
要件定義、基本設計、詳細設計、製造、テスト・・・・
企業によっては、外部設計、内部設計などといっているみたいだが、外部設計までにエンドユーザとの仕様を固めておくなど、とにかく上流工程から下流工程への流れに手戻りがないようにきっちり仕様を固めていく、、、、それを由とする開発手法である。
私はシステム開発において何でもかんでもこの開発手法をあてはめるのは間違っていると思っている。
方法論というものも適材適所で適用する必要があるはずである。

システムが大きければ大きいほど計画性重視のこのプロセスは効果的だと思うが、たとえば、以下の場合は逆に向いていないのではないかと思っている。

・システムの規模が小さい場合
・技術検証が付きまとう研究開発の場合
・汎用性を求めるパッケージ開発の場合
・プログラマが企画から開発まですべてのプロセスを行う場合

システム規模が小さい場合は、設計書を書いても設計書を見るのは設計書を書いた本人だけであったり、コーディングのための設計書ではなく単なるお作法で書いているだけということになってしまう。実際、設計書などを書いている時間でプログラムが出来てしまったり、プログラムで初めて気がついたことを設計書に反映させるなど本末転倒であり、規模の小さいシステムの設計書などはシステムが完成したとはまず見ることがなかったり、仮に見たとしてもプログラムと整合性が取れてなく、結局プログラムを見ないと不安であったり、メンテなどは始めからプログラムを見たほうが早かったりする。
この場合、スパイラルモデルでの開発のほうが向いているのである。

研究開発などは、技術実装が可能か不可能かによって、システム仕様やビジネスプランさえ変わることがある。
ボトムアップのアプローチである。

汎用性を求めるパッケージの場合は、設計でその仕組みを厳密に定義するのは非常に難しい。ユーザカスタマイズがUIによる設定で行えるように、あらゆるフラグを設ける必要があり、実際のコーディングで初めてデータベースのあるべき構造が明らかになってくる。

詳細設計の通りにしか作りません!という仕事割り切りのワーカープログラマは話が別だが、創作意欲とノウハウのあるプログラマはある意味職人であり、こんなものをどんな方法でどのように作りますといちいち日本語に書いたりするよりは、頭のイメージをいきなりプログラミング言語で表現するほうが適している。プログラム自体がドキュメントであり成果物でもあるのだ。

このようなケースでは私が最初にイメージしたカウボーイコーディングの手法が最も効果的なのではないかと思うのである。
アジャイル開発やエクストリーム・プログラミングなどという方法論もあり、いわゆるドキュメントよりもソースコードに重きを置いたものであるという。

言われたとおりに動くのは日本人の国民性だからやっぱりウォーターフォールが向いているのだよ、と言ってしまっては、ワーカープログラマしか育たない土壌にしかならないのではないかと思うのである。

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